グリンブログ

好きな本や音楽を紹介します。


スポンサーリンク
MENU

狂気と笑いと呪術が交錯する異色の長編!中島らも『ガダラの豚』感想・紹介

 

狂気と笑いと呪術が交錯する異色の長編──中島らもガダラの豚』感想・紹介

中島らもの小説『ガダラの豚』は、1993年から1996年にかけて刊行された全3巻の長編小説です。テレビ、呪術、宗教、そして現代社会の歪みを、笑いと狂気とリアリティで描ききった本作は、まさに“読むエンターテインメント地雷”。読者の心に爆発的な印象を残す作品です。

『本なら売るほど』で話題に再燃

最近では、書店舞台の人気小説『本なら売るほど』第2巻の中でこの作品が登場し、再び注目を集めています。「本当に面白い本ってなんだろう」と思っていた矢先、作中でこのタイトルが出てきて、興味をそそられ、気がついたら3巻一気に読み切ってしまいました。

あらすじ:呪術×テレビ×奇術×家族愛

物語の主人公は、大生部多一郎(おおうべ・たいちろう)。アフリカの呪術研究の第一人者でありながら、テレビの人気タレント教授としても知られる存在です。彼の著書『呪術パワー念で殺す!』はベストセラーとなり、時代の寵児となっていました。

しかし、大生部の家庭は崩壊寸前。8年前に娘・志織がアフリカで気球事故により消息不明となり、妻の逸美はその喪失に耐えきれず、心を病み、新興宗教にのめり込んでしまいます。そんな妻を救うべく、大生部は、奇術の力で“奇跡”を暴くプロフェッショナル──奇術師・ミラクルと手を組み、逸美の目を覚まさせようと奔走します。

やがて舞台はアフリカへ。大生部、ミラクル、研究助手や長男、スプーン曲げの青年、テレビ局のスタッフたちは、スワヒリ語で“13”を意味する町・クミナタトゥへと向かいます。そこにいるとされる大呪術師・バキリに接触するためです。彼らはついにバキリとの面会に成功しますが、そこで最大のタブーを犯してしまいます。なんと、バキリの呪具──「キジーツ」である少女を攫ってしまうのです。その少女こそ、行方不明だった娘・志織だったのです。

バキリの追手から逃れ、日本に帰国した大生部たち。しかし、呪いはそこで終わりません。番組関係者が次々と不可解な死を遂げ、バキリが密かに日本に潜入しているという噂まで飛び交います。そして物語は、テレビ局を舞台にした“呪術と奇術の生放送決戦”という、かつてないクライマックスへと突き進みます。

読む手が止まらない!テンポと構成力の妙

まず驚くのがそのテンポ感。笑えるほどスピーディーに話が転がっていき、読者を飽きさせません。しかも、その展開のすべてが“あり得そうであり得ない”絶妙なリアリティラインに乗っているのです。現代のテレビ番組制作やオカルトビジネス、啓発セミナーなどを思わせる描写も多く、「これは笑えない……」と背筋が寒くなるシーンも。

キャラクターの魅力と狂気の描写

登場人物たちはひとクセもふたクセもあるキャラクターばかり。大生部の軽妙で皮肉っぽい語り口、奇術師ミラクルの“奇跡を信じない姿勢”、息子との複雑な関係、テレビ業界の歪み、そしてバキリの存在感……どれをとっても、印象に残る人物ばかりです。

とりわけ、呪術と狂信と暴力が交錯するアフリカパートは圧巻。荒唐無稽なようでいて、根底には“人間の信じたい欲望”が潜んでおり、笑いながらもゾッとさせられます。

中島らもが描く「信じること」の恐ろしさ

この物語の底に流れているのは、「信じることの危うさ」です。宗教、スピリチュアル、テレビ、情報、呪術……どれもが“信じたい”という人間の本能を刺激する装置として描かれています。そしてその欲望が暴走したとき、社会も個人も破綻していく。その構図を、らもは鋭くもユーモラスに描き切っています。

まとめ:ただのエンタメじゃない、“読み終えたあとに効いてくる”小説

ガダラの豚』は、ただのトンデモオカルト小説でも、サスペンスでも、コメディでもありません。それらの要素をすべて内包しつつ、人間の本質を掘り下げる“怪物のような一冊”です。

読み進めるたびに「これは笑っていいのか?」と自問し、ラストに至っては「自分は何を信じてきたのか?」と問い直すことになります。娯楽作品としても一級品ですが、それだけでは終わらない余韻が、確実に心に残ります。

読み終わって、しばらく呆然としました。それくらい、衝撃的な読書体験です。『本なら売るほど』で気になった方、タイトルでなんとなく敬遠していた方──ぜひ読んでみてください。

ガダラの豚』(中島らも集英社文庫)全3巻、強烈におすすめです。

 

 

購入はこちらから