
『二十歳の原点』を読んで
― もし、あの時この本に出会っていたら
2025.01.27
「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である。」
高野悦子『二十歳の原点』を読み終えた。
ページを閉じた後、しばらく動けなかった。
この本は、1969年6月24日、二十歳で自ら命を絶った一人の女性の日記である。京都の大学に通い、学生運動の時代を生きた彼女の、苦悩と孤独と葛藤が、そこには記されていた。
冒頭に記されたこの言葉——「独りであること、未熟であること」。それが彼女の原点だった。そして、その原点から一歩も抜け出せないまま、彼女は二十歳でこの世を去った。
読みながら、何度も考えさせられた。彼女が問い続けたこと。生きることの意味。大学という場所の意味。そして、自分自身の在り方。
私は、この本を二十歳の時に読みたかった。
独りであること
「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である。」
この冒頭の言葉は、彼女の日記全体を貫く主題だった。独りであること。それは物理的な孤独だけではない。心の底からの、存在の孤独だ。
彼女は誰にも本当の自分を見せられなかった。そして、誰も本当の自分を見てくれなかった。そんな絶望的な孤独の中で、彼女は生きていた。
二十歳という年齢は、まだ子供でもなく、かといって大人でもない。未熟であることを自覚しながら、一人前として扱われることを求められる。
独りで生きることを学ばなければならない年齢。彼女は、その原点から抜け出せなかった。
ガラス越しの自分
「私の目をガラスで防衛しているということ。相手はガラスを通してしか私のオメメを見られない。真実の私は、メガネをとったところにある」
― p.35
この一節を読んだとき、胸を突かれた。
メガネという物理的な壁を通して、彼女は自分を守っていた。本当の自分を見せないために。傷つかないために。そして同時に、誰にも本当の自分を見てもらえないという孤独を抱えていた。
私たちは誰しも、何かしらの「ガラス」を持っている。笑顔という仮面かもしれない。無関心という壁かもしれない。強がりという鎧かもしれない。
彼女の孤独は、決して1960年代だけのものではない。現代を生きる私たちも、同じように「ガラス越し」に生きているのではないだろうか。
大学という幻滅
憧れて入学した大学。しかし、そこで彼女が見たものは、理想とはかけ離れた現実だった。
「卒業名簿の中にあるあなたの名前など、大学側にとっては授業料の領収書の意味しかないのだ。」
― p.172
この言葉は、あまりにも痛烈だ。
大学に何を期待していたのか。学び?成長?居場所?それらすべてが、システムという無機質な機械の中で消費されていく感覚。自分は一体、何のためにここにいるのか。
彼女は自問自答する。大学に行く意味とは何なのか、と。
私もまた、大学に通っていた頃、同じような虚無感を抱いていた。授業に出席し、単位を取得し、卒業する。それは本当に「学ぶ」ということだったのだろうか。
もし、あの時この本を読んでいたら——そう思わずにはいられない。
妥協という生き方
「生きるということは妥協の連続なのか。大事なことはどこに妥協の接点をみつけるかということである。」
― p.196
この言葉を読んだとき、私は立ち止まった。
生きることは妥協の連続だ。理想と現実の間で、私たちは常に折り合いをつけながら生きている。夢を諦め、我慢し、適応していく。
彼女もまた、それを理解していた。けれど、「どこに妥協の接点をみつけるか」——その問いに、彼女は答えを見つけられなかったのではないだろうか。
私たちは、妥協しながら生きている。それは悪いことではない。生き延びるための知恵だ。
けれど、妥協しすぎてしまったとき、自分が何者なのか分からなくなる。本当にやりたかったこと、本当の自分——それらを見失ってしまう。
時代という壁
正直に言えば、1960年代の学生運動という時代背景には、入り込めなかった。
全共闘、学園闘争、ベトナム反戦——それらは私にとって遠い過去の出来事で、実感として理解することは難しかった。
けれど、それでも彼女の苦悩は理解できた。なぜなら、時代が変わっても、若者の孤独と葛藤は変わらないからだ。
生きることの意味を問うこと。
居場所を探すこと。
自分自身と向き合うこと。
それらは、いつの時代も変わらない。
一週間も先のことはわからない
日記の中に、こんな場面がある。
サイクリングに行こうという話になった。琵琶湖に行くことになった。しばらくジャズを聞いた後、彼女は言う。
「私やめるわ。一週間も先のことどうなるかわからないし」
彼女は続ける。あの女の子とつきあっていたら、いつしか裏切るようなことをするのがわかっていた、と。人間のつきあいには必ずウソがある。すべて流れゆく旅人の気持でこよなく彼を彼女を愛して通り過ぎてゆくのがよいのだ、と。
「一週間も先のことはわからない」。
この言葉が、あまりにも痛ましい。
彼女は正しかった。全くもって正しいことであった。一週間先どころか、彼女には未来そのものがなかったのだから。
この場面を読んだとき、胸が締め付けられた。
彼女は、誰かと約束することを拒んだ。未来を信じられなかったからだ。いや、未来を信じることを、自分に許せなかったのかもしれない。
人を裏切ってしまう前に、自分から離れる。
期待を裏切ってしまう前に、最初から期待させない。
傷つけてしまう前に、関わらない。
それが彼女の優しさであり、同時に、彼女を孤独に追い込んだ原因でもあった。
「すべて流れゆく旅人の気持で愛して通り過ぎてゆく」——それは美しい言葉だ。けれど、それは同時に、誰とも深く繋がらないということでもある。
彼女は、繋がることを恐れていた。そして、繋がれないことに絶望していた。
一週間先の約束すらできない人生。
それは、どれほど孤独だったろうか。
生から死へ——止められない転落
この日記を読んでいて、最も苦しかったのは、彼女の変化を目の当たりにすることだった。
序盤から中盤まで、彼女は生きることを考えていた。確かに自殺まがいのことをした。死への衝動に駆られた瞬間もあった。けれど、日記には「生きる」ことが書かれていた。
彼女は自殺を卑怯者の行為だと考えていた。逃げることだと。そして、自分は逃げない、と。
しかし、終盤になると、日記の色が変わっていく。
生きることから、死に向かっていく。ページをめくるたびに、彼女が死へと近づいていくのが分かる。
止められない。読者である私には、何もできない。ただ見ているしかない。
その無力感が、あまりにも苦しかった。
彼女の中で何が起きたのか。なぜ「生きる」から「死ぬ」へと変わってしまったのか。それは明確には書かれていない。けれど、日記を読んでいると、その過程が痛いほど伝わってくる。
孤独が深まっていく。希望が消えていく。妥協の接点が見つからない。そして、疲れていく。
生きることに、疲れてしまった。
最初は「卑怯者」と呼んでいた行為を、彼女は最後に選んだ。それは矛盾ではない。彼女が変わったのだ。追い詰められたのだ。
そして、「原点に還る」ことを選んだ。
もし、あの時に
この本を、二十歳の時に読みたかった。
大学に通っていた頃に。意味を見失っていた頃に。自分が何のために生きているのか分からなくなっていた頃に。
もし、あの時この本に出会っていたら、何かが変わっていたかもしれない。
あるいは——
僕も、彼女と同じ道を選んでいたかもしれない。
今、此処にはいなかったかもしれない。
高野悦子は、1969年6月24日の深夜、鉄道に身を投げた。遺書には「原点に還る」と記されていた。
彼女が探し続けた「原点」とは何だったのか。それは、おそらく誰にも分からない。彼女自身も、最後まで見つけられなかったのかもしれない。
「独りであること、未熟であること」——その原点から抜け出せないまま、彼女は原点に還ることを選んだ。
彼女の選択を、私は肯定することも否定することもできない。
ただ、彼女が抱えていた苦しみ、孤独、絶望——それらは、確かに存在していた。そして、それらは今も、誰かの心の中に存在している。
あの時、もし私がこの本を読んでいたら。彼女の孤独を知り、彼女の苦しみを知り、彼女の選択を知っていたら。
私も、同じ道を選んでいたかもしれない。
私たちはどう生きるか
『二十歳の原点』は、答えを与えてくれる本ではない。むしろ、問いを突きつけてくる本だ。
あなたは、何のために生きているのか。
あなたは、本当の自分を生きているのか。
あなたは、どこまで妥協するのか。
これらの問いに、簡単な答えはない。生涯をかけて向き合い続ける問いかもしれない。
けれど、問い続けることをやめてはいけない。そう思う。
高野悦子は、最後まで問い続けた。生きることの意味を。自分自身の在り方を。
その誠実さ、その真摯さは、50年以上経った今も、多くの人の心を打つ。
彼女は二十歳で人生を終えた。けれど、彼女の問いかけは、今も生き続けている。
もし、あなたが今、生きることに迷っているなら。
もし、自分の居場所が見つからないなら。
もし、何のために生きているのか分からなくなっているなら。
この本を読んでみてほしい。
答えは見つからないかもしれない。けれど、あなたは一人ではないと知ることができる。同じように苦しみ、同じように問い続けた人がいたことを知ることができる。
そして——願わくば、彼女とは違う道を選んでほしい。
私たちは、どう生きるか。
その問いを、彼女は遺してくれた。
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